滝の音

滝の音

名こそ流れてなお聞こえけれ

分かりやすさについて考え始めた。

深夜のぼやきブログです。

懐古します。

 

あれはたぶん中学二年生の時。

 

塾で書いた作文についてです。

テーマは忘れました。高校受験の国語でかされる作文でした。

それに対する先生のコメント。

 

 

「すごくいいことを書いているけど、字がきれいじゃないね」

 

そう言われたときにこう思ったんです。

 

 

字が下手なのが気にならないくらい、もっといいことを書いてやろう。

 

それと似た発想も持ち始めました。

 

服がダサくても気にならないくらい、格好良くあろう。

 

わかりにくさで避けられないくらい、相手がわかりたいと思うものをつくろう。

 

これはつまり。

 

マイナスがあっても相手が選ばざるを得ないくらい、魅力的なプラスを提示しよう。

相手がマイナスを飲めば飲むだけ、自分のプラスは欲せられているのだ。

 

マイナスを飲むことは自分への貢献だ。

マイナスを飲ませることが自分の強さだ。

 

 

文字に起こすととんでもない野郎ですが笑

それが自分の根幹にあります。

 

たまたま自分の周りにはやさしい人が多かったので。

それでも淘汰されることなくやってきました。

わりと友達とかいる環境なんです笑

やさしさに甘えていますかね笑

 

 

あえて言っちゃいますが。

自分が飲ませるマイナス以上にプラスを提示してこれたと思います。

うぬぼれかもしれませんが。

痴れずにそう言います笑

 

毛並みが違うね。

やっぱすごいね。

ニュータイプだね。

 

皮肉かもしれませんがそんなことをよく言われます。

 

 

ここでタイトルの「わかりやすさ」についてですが。

 

こういう発想を持った人間がどう考えるかはお察しだと思います。

 

分かりやすさは必要ない。

むしろ分かり難くして、それでも理解することが周囲の勤めだ。

 

ぶっちゃけそれくらいに思っています。

 

 

なんでこんなこと書いているかというと。

別に自分の覇王伝説自慢(笑)をしたいわけではないんです。

 

中学二年のころの分岐の逆を歩こうと思い始めたからなんです。

 

たとえばこのブログ。

自分の見た目を知らない人が読みます。

自分の性格を知らない人が読みます。

自分を知らない人が読みます。

 

さらに。

少なくともいまのところ、自分の投稿を待ってくれている人なんていない。

登校を待ってくれる友達じゃない。

長期にわたって関わろうなんて思っていない。

 

 

たぶん自分は見た目で得をしているほうです。

人に好かれるほうです。

長く関わればマイナスに勝るプラスを提示できます。

 

あえて言いましたが上の点は。

 

自分の記事を読む人には伝わらない情報です。

 

でも自分のマイナスだけは確実に伝わると思います。

わかりにくさだけは面白いように伝わると思います。

 

なので。

 

「分かりやすさ」を使えないと今より強くなれないな。

 

そう思ったのです。

 

 

なんだかきれいじゃない動機ですね。

 

でも。

色を抜いてしまったもの、誰かのコピーで擦り切れたものよりは良い。

自分があるなら良い。

 

そう思って書きました。

 

 

分かりやすさって言ってもいろいろありますよね。

ブログではブログで伝わるものに絞ります。

自分が取り組むのはまずはふたつ。

 

見やすいものをつくる。

わかりやすい言葉を使う。

 

すでにやっている人からすれば当たり前すぎて笑ってしまうかもしれませんね。

中学生じゃないんだからってあきれちゃうかもしれませんね。

 

でも中学生なんです。

中学生で放棄した方向性だから。

中学生止まりなんです。

 

こどもはすぐに伸びる。

こども止まりのものはどうなんだろう。

気になる人はこれからの僕を見ていてください。

 

おわり。